明治の始め、初代鈴木宇吉郎は上海で夢を見た。ふと、手にとった筒を覗くとまるで花びらを七色に染めた紫陽花が咲くようにひろがる絵が動いているではないか。彼はもう一度、息をのんで指先を動かした。よく見ると、小さな色の破片がまわりの鏡に姿を映し動きに合わせて、角度を変えているのだ。手にとった筒は紙で出来ていた。この手に触れるあたたかさと、感動を故郷に伝えたい。そんな思いを紙筒に託し日本での製造販売に踏み切った。
明治26年4月、木製の呉服の巻芯を紙筒に変えることに成功し、“鈴木松風堂”と商号を定めた。夢を最初に受け入れたのはなんと古式豊かな着物だったのだ。
西洋文化華やかな明治を経て、大正ロマン期、昭和初期、そして戦中には生活物資として姿かたちを変えながら、表情豊かな包装資材へと成長していく。
戦後、和装包装資材はもちろん、洋装包装資材、そしてその見本帳をいちはやく手がけた。そこから得た印刷や紙工デザイン能力の向上から和洋菓子のパッケージへと、そして店舗ディスプレーまでトータルな販売促進の企画も手掛けている。
そして今、自然指向、本物指向の流れの中、再び人間にやさしい紙、パッケージやインテリア雑貨として紙の技が世界中から注目を集めている。
上掲の当社の商標は明治末期故鈴木宇吉郎がカトリックの三位一体の玄義に因んで、得意先、当社、仕入先がスクラムを組む共存共栄のシンボルとして制定したものである。造形的に秀れたものとして高橋正人著、岩崎美術社発行の伝承デザイン資料集成商家諸職篇に“三ツ違い山形”として紹介されている。
私たちが造る紙管は、紙が螺旋状の円を描きながら重なり巻かれ、強く丸く、そしてまっすぐに伸び作られます。その様子は、さまざまな「縁」からなる「人の成長」や「人の和・組織」技術の進化」「企業の発展」「文化の継承」といった事に形容されるのではないでしょうか。
紙管をスパイラル状に巻く様(右図)に、さまざまなご縁で商品が生まれ、それらとともに私たちは成長し、また次の代へと継承し歴史を刻んできました。
これからもお客様との縁を大切にし、皆様とともに、120年、150年、200年へと伝統や歴史となり新たな縁と未来へ刻まれつながっていきます。
紙管が巻かれる螺旋をベースに、松・竹・梅の縁起のよいモチーフをあしらい、アイコンとして紋をデザインしました。
三つのモチーフとその中の三つの丸は、初代からの三位一体の精神を継承しています。
このデザインアイコンは、お客様・当社・仕入先様とのご縁が縁起の良いものになりますようにとの思いを込めて物創りに取り組んでいる印としています。